努力する人を揶揄する集団が一定数いることと思います。
しかし努力することは立派なことです。
その努力について書いてみました。
努力できることは立派な才能です。
ここで「才能」の意味を記します。
物事を巧みになしうる生まれつきの能力。(goo国語辞書より)
ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力。(Oxford Languagesより)
と出てきます。
前者は、先天的なものと解釈をしています。
後者は、後天的なものを含んだ解釈をしています。
個人的には両方正しいと思っています。
成績を上げるには2つの才能が必要だと考えています。
①先天的な才能
②努力する才能
です。
学力は、
①先天的な才能を基盤にしながら、
②努力する才能を使って磨いていく
ことによって培っていくものと考えています。
①先天的な才能
生まれつき持っている能力です。
10の話をして、1しか分からない人、100まで推察する人、様々です。
10教えて、1しかできない人、100できる人、様々です。
分野によって、これができたりできなかったりするでしょう。
こうやって、勉強/スポーツ/芸術/が得意な人・苦手な人、
得意科目・不得意科目が生まれます。
②努力する才能
才能は、辞書に「訓練」と言葉があったように、努力して磨いていく必要があります。
努力できること、頑張れることも才能なのです。
素質はあっても頑張らない生徒、頑張れない生徒たくさんいます。
もし自分に素質がないと思っていても、努力することで叶うことは多いです。
努力する素質はありますから、素質は十分にあります。
最後に
指導に関わって長いので、努力する生徒・しない生徒を山ほど見てきました。
努力するには各々様々なモチベーションがあるのでしょうが、
そのモチベーションが何であれ、努力できる人が勝つのです。
諦めず鍛錬し続けたものだけが勝つのです。
教師として、生徒に努力させることが一番難しいです。
ここに関しては私自身、有効な手立てを掴み切れていません。
努力する素質はあり、努力しているけど、結果が出ていない生徒がいます。
このような生徒を私は救いたいです。
努力するやり方を変えてあげるだけで、
結果は全然変わります。
せっかく頑張って努力しているのだから、
その努力を結果に繋げてあげたい、報われる努力にしてあげたい、
そんな思いで日々指導しています。